History

生協くまもとのあゆみ

生協くまもとの前身は、1920年(大正9年11月5日)、第一次世界大戦後のインフレ時代に従業員の生活を守る目的で日本窒素肥料㈱の消費組合として設立。その翌年「水光社」と名づけられました。
以後、組合員のご理解やご協力、信頼に支えられ今日まで歩んでまいりました。2020年に創立100年を迎えるこの機に、その歴史を10年毎に区切り、10回にわたって振り返ります。

コンテンツメニュー

第1章 創立期~第一時発展期(大正9年~昭和12年)

1920年~1930年

1920(大正9)年11月

日本窒素肥料㈱の消費組合として設立。従業員の服装はハッピ姿にぞうりばきだった。

1921(大正10)年10月

産業組合法により「有限責任購買組合 水光社」となり、産業組合中央会に入会。創立にあたり作成した社是。

1926(昭和元)年12月

日本窒素㈱水俣工場内に新店舗完成。店舗は12月21日開店大売出しを行いスタートを祝った。

1927(昭和2)年

産業組合中央会熊本支部総会で、優良組合として表彰された。

1929(昭和4)年

剰余金の利用割戻し実施。お買い上げ高合計1%を組合員に還元し大変喜ばれた。

創業時の職員の服装
創立の社是
新店舗完成
新店舗完成と新入社員を迎え記念写真
新店舗(精米所)

社名の名づけ親は?

大正9年ごろ、当時名称がなかったため、賞金5円で社名を募集し応募作の中から選ばれました。名づけ親は津奈木町の船場長十さん(故人)で、 戦前、日本海軍の社交と相互扶助の機関であった「水交社」からヒントを得て命名された、ということです。
(1985年「水光社だより12月号」より)

第2章 戦中から戦後復興へ(昭和13年~昭和25年)

1931年~1940年

1931(昭和6)年

より良いものをより安く、豊富に揃えるために仕入れ先を福岡・大阪方面に拡大した。

1932(昭和7)年

組合員数1,446名 供給高は226,183円94銭との記録が残されている。

1934(昭和9)年

組合員資格の定款変更が行われ水光社従業員も組合員として認められることとなった。

1937(昭和12)年

この年の7月『日中戦争』勃発。

1939(昭和14)年

日中戦争の影響により物価が高騰したにもかかわらず、一人当たりの購買高は前年度に比べて12円44銭減少した。戦時態勢下の節約風潮と独身者の大量入社がその原因である、と記録されている。

当時、現金の替わりに利用され、組合員さんに喜ばれた水光社購買伝票。
戦斗帽をかぶりキャハンをつけた「戦時服装」で水光社を守りぬいた当時の従業員達。

1941年~1950年

1945(昭和20)年

第二次世界大戦末期には配給物資も底をつき、組合事業の使命達成がおぼつかないまま職場配給機関として僅かに存続するという状況だった。そんな中、7月の空襲により店舗が全壊。事実上解散の危機に陥った。敗戦後の第25回総代会では『工場特配物資の供給を代行し、且つ協力するのみで組合本来の使命を十分発揮出来なかった事は遺憾であった』と記録されている。

1947(昭和22)年

日本窒素(株)水俣工場内の従業員寮跡に仮店舗を建設。解散の危機から再建へと動き出す。

1948(昭和23)年

機関誌「水光社便り」第1号発行。

1949(昭和24)年

現在地に新店舗が完成。新店舗の建設整備、陣内分店・丸島分店・駅前分店の開設、など店舗設備完成のために多くの努力が払われた。

1950(昭和25)年

消費生活協同組合法に基づいて定款変更し『生活協同組合水光社』と改める。

機関誌「水光社便り」第1号
終戦直後の水光社の従業員
昭和24年ごろの水光社本店風景
当時の12月、大勢の人出でにぎわう

第3章 第二次発展期(昭和26年~昭和39年)

1951年~1960年

1951(昭和26)年

家庭係(御用聞き)制度発足。水俣市居住の組合員を対象に、会員制を採用し御用聞き制度を始めた。会費は1ヶ月70円。会員数は117名に達した。

1952(昭和27)年

水光社家庭会設立総会を開催。初代会長に草野ナオ氏が就任した。

1952(昭和27)年

米穀小売店主食登録世帯県下1位となる。

1952(昭和27)年

日本生活協同組合連合会及び熊本県生協連に加入。

御用聞きの5人衆
家庭会初代会長
草野ナオ氏
新設の精米機

第4章 新たな転換期(昭和40年~平成2年)

1961年~1970年

1964(昭和39)年

従業員用のバッジを制定。黒字に金文字のシックなデザインは、商業デザイナー轟周平氏の手によるもの。黒の石目打地に金色の丸と放射線を浮出し、中央の丸地に水光社の水の字を配した金張りのぞうがん作りだった。

1965(昭和40)年

この年は創立45周年で、この年記念マークが作られた。また、「創立45周年記念セール」と題したセールを行い大変な賑わいを見せた。

1969(昭和44)年

店舗を大改装し、鉄筋2階建て、延700坪冷暖房完備、エスカレーター1基を備えたお店が登場した。

1970(昭和45)年

創立50周年に合わせ、記念式典が水俣市立体育館において参加者約600名を招き執り行われた。

従業員用バッジ
45周年の記念マーク
にぎわう食品売場
完成した新店舗
参加者600名の一大セレモニー

1971年~1980年

1972(昭和47)年

水光社50年史を発行。また創立感謝記念セールには大勢の組合員がつめかけた。

1973(昭和48)年

第7回全国生協大会の席で日生協加入の千数百の生協の中から厳しい選考により「優秀生協表彰 」を受賞した。

1977(昭和52)年

最新鋭の防災設備を施した、本格的な防災店舗が完成し新装オープンした。

1980(昭和55)年

創立60周年。職域生協から地域生協へ組織変更の認可を熊本県より受ける。

1981年~1990年

1981(昭和56)年

新たなロゴが誕生し、今もおなじみの無限大マークが採用された。

1983(昭和58)年

ホームセンター及び立体駐車場完成、7月1日にオープン。

1990(平成2)年

創立70周年。11月8日、水俣市文化会館において、水光社創立70周年記念式典が開催された。総代、連絡員、家庭会運営委員が出席。市長をはじめ、県議会議員、市議会議員、官公庁、お取引先、市内各事業所、生協関係の招待席はすべて満席となった。

第5章 さらなる拡大期(平成3年~令和元年)

1991年~2000年

1991(平成3)年

水光社の事業区域は熊本県全地域に拡大。熊本市東区戸島に敷地面積500坪、2階建て200坪の熊本東支部が5月に完成する。

1994(平成6)年

人吉球磨支部が営業開始。落成式には、相良村の村長、組合員も参加した。

1995(平成7)年

創立75周年。熊本市の水前寺センタービルに共同購入の起点として熊本事務所を開設した。また、第1回熊本生協まつりが11月に開かれ、お楽しみ抽選会など終日にぎわった。

1999(平成11)年

津奈木店がオープンする。近隣の組合員の要望に応え完成した。

2001年~2010年

2001(平成13)年

4月25日、水俣市の陣内店がリニューアルオープン。明るい店内に生鮮食料品や総菜、乳飲料、デザートなど幅広い品ぞろえで大盛況となった。

2003(平成15)年

水俣市大黒町にエムズシティが3月6日にオープン。エムズシティの「M」には①Mission(ミッション)②Magnet(マグネット)③Mix(ミックス)④Meet(ミート)⑤Move(ムーヴ)の5つの思いが込められている。

2006(平成18)年

熊本市の出水7丁目の個配センターにおいて開所式が行われた。

2009(平成21)年

11月より、OCR注文用紙がリニューアルされ、食品カタログ本誌に掲載されているすべての商品が表示されるようになった。

2011年~2020年

2012(平成24)年

「水光社」と「コープ熊本学校生活協同組合」合同での第1回生協まつりをグランメッセ熊本で開催。来場者1万人と大盛況だった。

2013(平成25)年

熊本市西区に「コープ春日」グランドオープン。

2014(平成26)年

「水光社」と「コープ熊本学校生活協同組合」が合併し、「生活協同組合くまもと」が発足。県内最大規模の生協が誕生した。

2016(平成28)年

熊本市3支所を統合した「熊本東支所」が稼働。直後に熊本地震が発生する。コープサポーター制度を導入し、こーぷ喫茶、健康チェック相談会などを開催。また、移動店舗販売を開始する。

2018(平成30)年

熊本県が推進する「ブライト企業」に認定される。また熊本地震「震災対応特別賞」を受賞する。お買い物サポートカー稼働。

2019(令和元)年

電子マネー機能付きの新しい組合員証「コプカ」誕生。ツーリストで海外旅行商品の取り扱いを開始した。通常総代会でSDGs行動宣言の特別採択を行った。

2020(令和2)年

個人宅配料の見直しを行う。様々なコロナウイルス感染症対策を行う。またコロナウイルス感染拡大防止の観点から、100周年関連のイベントを1年延期することを決定。令和2年7月豪雨に見舞われる。

第6章 そして未来へ