生協くまもと100年のあゆみVOL.2(1931年~1940年)
生協くまもとの前身は、1920年(大正9年11月5日)、第一次世界大戦後のインフレ時代に従業員の生活を守る目的で日本窒素肥料㈱の消費組合として設立。その翌年「水光社」と名づけられました。
以後、組合員のご理解やご協力、信頼に支えられ今日まで歩んでまいりました。2020年に創立100年を迎えるこの機に、その歴史を10年毎に区切り、10回にわたって振り返ります。
1931(昭和6)年~1940(昭和15)年まで
1931(昭和6)年
より良いものをより安く、豊富に揃えるために仕入れ先を福岡・大阪方面に拡大した。
1932(昭和7)年
組合員数1,446名 供給高は226,183円94銭との記録が残されている。
1934(昭和9)年
組合員資格の定款変更が行われ水光社従業員も組合員として認められることとなった。
1937(昭和12)年
この年の7月『日中戦争』勃発。
1939(昭和14)年
日中戦争の影響により物価が高騰したにもかかわらず、一人当たりの購買高は前年度に比べて12円44銭減少した。戦時態勢下の節約風潮と独身者の大量入社がその原因である、と記録されている。
当時、現金の替わりに利用され、組合員さんに喜ばれた水光社購買伝票。
戦斗帽をかぶりキャハンをつけた「戦時服装」で水光社を守りぬいた当時の従業員達。