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~創立100年記念~ 生協くまもと100年のあゆみ

生協くまもと100年のあゆみVOL.3(1941年~1950年)

生協くまもとの前身は、1920年(大正9年11月5日)、第一次世界大戦後のインフレ時代に従業員の生活を守る目的で日本窒素肥料㈱の消費組合として設立。その翌年「水光社」と名づけられました。
以後、組合員のご理解やご協力、信頼に支えられ今日まで歩んでまいりました。2020年に創立100年を迎えるこの機に、その歴史を10年毎に区切り、10回にわたって振り返ります。

1941(昭和16)年~1950(昭和25)年まで
1945(昭和20)年

第二次世界大戦末期には配給物資も底をつき、組合事業の使命達成がおぼつかないまま職場配給機関として僅かに存続するという状況だった。そんな中、7月の空襲により店舗が全壊。事実上解散の危機に陥った。敗戦後の第25回総代会では『工場特配物資の供給を代行し、且つ協力するのみで組合本来の使命を十分発揮出来なかった事は遺憾であった』と記録されている。

1947(昭和22)年

日本窒素(株)水俣工場内の従業員寮跡に仮店舗を建設。解散の危機から再建へと動き出す。

1948(昭和23)年

機関誌「水光社便り」第1号発行。

1949(昭和24)年

現在地に新店舗が完成。新店舗の建設整備、陣内分店・丸島分店・駅前分店の開設、など店舗設備完成のために多くの努力が払われた。

1950(昭和25)年

消費生活協同組合法に基づいて定款変更し『生活協同組合水光社』と改める。

終戦直後の水光社の従業員

昭和24年ごろの水光社本店風景

当時の12月、大勢の人出でにぎわう