生協くまもと100年のあゆみVOL.4(1951年~1960年)
生協くまもとの前身は、1920年(大正9年11月5日)、第一次世界大戦後のインフレ時代に従業員の生活を守る目的で日本窒素肥料㈱の消費組合として設立。その翌年「水光社」と名づけられました。
以後、組合員のご理解やご協力、信頼に支えられ今日まで歩んでまいりました。2020年に創立100年を迎えるこの機に、その歴史を10年毎に区切り、10回にわたって振り返ります。
1951(昭和26)年~1960(昭和35)年まで
1951(昭和26)年
家庭係(御用聞き)制度発足。水俣市居住の組合員を対象に、会員制を採用し御用聞き制度を始めた。会費は1ヶ月70円。会員数は117名に達した。
御用聞きの5人衆
1952(昭和27)年
水光社家庭会設立総会を開催。初代会長に草野ナオ氏が就任した。
家庭会初代会長
草野ナオ氏
1952(昭和27)年
米穀小売店主食登録世帯県下1位となる。
新設の精米機
1952(昭和27)年
日本生活協同組合連合会及び熊本県生協連に加入。